森聞きと私の心の声
今日仕事の帰りに久しぶりに映画を見てきた。
十三の町にある心地良い小規模の映画館で
「森聞き」というドキュメンタリを鑑賞したのだ。
帰ってくるなり是非今の気持ちを書き留めようと思ったけど
言葉にならない心一杯なる幸せな感覚。
本当に毎日味わっていたい力強い真実、生きる喜びと自然や
人々への深い繋がりを感じている。
この瞬間に、今日の課長の何気ない言葉が貧弱に聞こえる。
「あの人の日本語が論理的じゃないのではなく、あの人が論理的ではないって」
なんでも論理的な説明求めたり、
一番大事なことは何かって言葉に頼りすぎる会社生活は人が
持つ多面的な感受性を引き締めて、一本受信しかできない詰らない
「ロボット」にしているような気がする。
確かに課長は論理的に書けて仕事もできる。しかし、いつもイライラして、人の
欠点ばかり口にする。人間としてはいつも何かが欠けて、寂しい感じがする。
確かに課長は頭も切れるし、何でのばさばさ切れる。
でも私はその人のようになりたいと思わない。
私は、言葉になるものもならないものも聞こえてくるすべての声を大事にしたい。
そして、森聞きに出てくる森の名人達のように、
本当に自然に合わせて生きる、自然から教わった真実を自分の芯にし、
伝えるものを持って誇りを持って生きる生き方をしたい。
アイシュタインの言葉に
「成功する人間になるより、 価値のある人間になれ」というフレーズがある。
私は本当に価値ある人間を追求していきたいと思う。
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